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鳥嶋さんは漫画よりゲームが好きだった
鳥嶋氏:僕はね、よく「漫画は好きじゃないけど、ゲームは好き」と言うんですよ。一同:えええ(笑)。佐藤氏:大丈夫? そんなこと言って(笑)。鳥嶋氏:ついでに言うと、ジャンプも嫌い(笑)。僕は新人時代、あまりに当時ジャンプに掲載されていた漫画がつまらないものだから、小学館の資料室にこもって他誌の漫画を山ほど読んでいたくらいだもん。――なんか、いきなりすごい告白を聞いているような。というか鳥嶋さんって、ジャンプ編集部のエリートみたいな印象だったのですが、なかなかに不良サラリーマンですね。鳥嶋氏:だって、編集者の仕事は、担当している作家に一円でも多く稼がせることにあるわけじゃない。そうやって現場で仕事をしていたから、自然と会社とぶつかっていたよね。それに当時の僕は、ゲームクリエイターに親近感を抱いていたんだよね。これまでのカルチャーでは見たことのない連中だったし、一方で同じゲーム好きの仲間という気持ちもあったしね。――ううむ……もしや漫画業界の人たちよりもですか?鳥嶋氏:まあ、当時の漫画編集者や漫画家に、ゲーム好きなんてまずいなかったというのはあるね。それに大御所の漫画家なんて、ひどい人は本当にクリエイターとして終わってたから、嫌いなやつも多かったしね(笑)。そんな連中に比べればゲームの方は、堀井さんや中村光一さん、あるいは坂口博信とか、本当にやる気満々のギラギラした若者ばかりで、やっぱり面白かったよね。
感情移入の大切さ
――鳥嶋さんから見て、漫画やアニメと比較したときの「ゲームとはなにか?」の特徴はどういう部分にありますか?鳥嶋氏:簡単に言うと、まず漫画は手塚治虫さんの発明によって、コマの連続で動きを表現できるメディアになったんですよ。そして、それに色をつけて動かすとアニメーションになった。その流れからゲームを言うのであれば、自分の手でキャラクターを動かせるという要素を付け加えたのが大きいね。佐藤氏:まあ、そうだよね。鳥嶋氏:ただ、ここでゲームが圧倒的に強いのは、感情移入のテクニックなんですよ。漫画やアニメで一番難しいのは主人公と読者を一体化させることだからね。キャラクターを立てて、主人公を自分だと錯覚させるために、漫画家は本当に沢山のテクニックを使うわけ。ところが、ゲームは動かした瞬間に主人公は自分になってしまう。漫画において最も習得が難しいノウハウを、あらかじめクリアできている。これが漫画やアニメと比較したときの、ゲームの凄まじさだよね。「動かしたものが自分になる」という感覚の持つ凄まじさを、今のクリエイターはどのくらい理解できているんだろうと思うよ。
読みやすい漫画と読みにくい漫画の違い
鳥嶋氏:あと、もう一つそこで分かったのは、世の中には「読みやすい漫画」と「読みにくい漫画」があるということね。――どういうことですか?鳥嶋氏:漫画の技術というのは、基本的には全て分かりやすさから来てるんですよ。片っ端から漫画を読んでいくと、明らかに「読みやすい漫画」と「読みにくい漫画」があるのがわかってくるのね。そこで次に僕は「読みにくい漫画」をどんどん弾いていって、さらに「読みやすい漫画」の中でも特に読みやすいものを残していったんです。すると最後に残ったのが、ちばてつやさんの『おれは鉄兵』だったんですよ。※ちばてつや1939年、東京に生まれ、2歳のとき満州に渡る。漫画家。17歳のときに貸本漫画でデビュー。その後、少年漫画雑誌に移り、次々にヒット作を飛ばす。最大のヒット作となったのは梶原一騎を原作に迎えたボクシング漫画『あしたのジョー』で、社会現象を巻き起こすほどの流行となった。その後も、『のたり松太郎』や『あした天気になあれ』などのスポーツ漫画のヒット作を飛ばす。現在は、日本漫画協会理事長。佐藤氏:へええ。『おれは鉄兵』ですか。鳥嶋氏:そこで僕は、あの漫画の第1話19ページの全てのコマについて、なぜこのコマ割りで、なぜこのアングルなのかを50回読み返して、自分の中で分析しながら読んでいくことを課したんです。するとね、コマ割りという手法の意味がやっと分かったんですよ。しかも、それを新人漫画家の指導に応用してみると、もうみるみる上手になっていくのね。――ちばてつやさんの漫画は何が違ったんですか?鳥嶋氏:たぶん手塚治虫と比較すると分かりやすいんだよね。一言で言うと、手塚さんのコマ割りはストーリー展開の「理屈」に沿ってるけど、ちばてつやのそれは読者の「感情」に沿ってるんだよ。ちばてつやさんの原点は、満州にいた辛い時期に弟たちの気持ちを紛らわすために、紙芝居みたいな漫画を描いて見せていたことにあるらしいんですね。だから、子供でも読みやすい表現がとにかく抜群に上手い。僕の基礎は『おれは鉄兵』の、特に最初の方を徹底的に何度も読み返したことから出来ているんです。佐藤氏:『ちかいの魔球』や『紫電改のタカ』なんかは、僕も子供のころ夢中になって読みましたねぇ。鳥嶋氏:ええ、漫画の歴史において手塚治虫さんとちばてつやさんは「別格」。それは僕の中ではかなり確信を持って言えることですね。鳥山明さんだって、あくまでもそうした作家たちの積み重ねの上に成立した、“偉大なるアレンジャー”でしかない。実際、『Dr.スランプ』は『ドラえもん』と『鉄腕アトム』、『ドラゴンボール』は『里見八犬伝』と『未来少年コナン』の変形でしょ。――言われてみれば、確かに。佐藤氏:でも、そういう技術的な指導をする漫画編集者って、どのくらいいるんだろう?鳥嶋氏:いやいや、周囲を見渡してみると、ほとんどいなかったですよ。他の編集者が言っているのは、僕に言わせれば「感想」ですね。そんなのは小学生でも言える。漫画はやっぱり構成だから、絵と台詞を組み合わせて表現するとはどういうことか、アングルとは何か、コマ割りとは何か、そういうことを徹底的に作り手の側が理解していないとダメなんです。佐藤氏:なるほどね。鳥嶋氏:しかも恐ろしいことに読者は、それがちゃんと出来てるかを瞬時に判断してきて、その結果の感想が「読みにくいな」なんだよね。だから、僕は漫画の打ち合わせは30分で終えるんです。それ以上の時間の打ち合わせには意味がない。作家の絵コンテも2回しか読まない。最初の1回で全て頭に入れて、次にどこが具体的にマズいかを作家に説明するときが2回め。それで充分なんですよ。なぜなら、読者という存在はそれだけ厳しいから。彼らがページをめくる手を止めたら、もうそれでおしまい。その漫画にはそもそも構成に難がある。編集者はそういう「読者目線」をいかに持つかが大事なんです。
ヒット作品を生むコツとは
――過激にボツを出し続けた編集者は他にいても、鳥山明や桂正和のような作家を生み出した人は他にいないわけで……何かコツのようなものはあるんじゃないかと思うのですが。鳥嶋氏:まず一つ言うと、僕は作家のエリアには入らないんです。よくストーリー作りに参加している編集がいるけど、あんなのは二流の編集のやることだね。そういう編集者が関わった作品はスマッシュヒットにはなっても、決してビッグヒットにはならない。じゃあ、ビッグヒットを生む最大のコツは何か分かる?――いや、さすがにちょっと(笑)。鳥嶋氏:簡単。「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ですよ。いかに作家に無駄弾を撃たせて、いかに何度もダメ出しをして、最後には作家に「自分は他人よりなにが優れているか」を悟らせるか、これに尽きるんだね。編集の側から「こうすればいい」とサジェスチョンしても、結局は作家の身にならない。作家自身に自分で気づかせる以外にないんです。ということは、編集の仕事は短時間に的確にダメ出しを繰り返すことに尽きるんだよ。まあ、技術論のレベルでの指導もしていくわけだけどね。
作家の「描きたいもの」と「描けるもの」の違い
――でも、作家自身で自分が本当に「描きたいもの」に気づくのって、ずいぶんと難しくないですか?鳥嶋氏:そこでもう一つの話になるんだね。作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。鳥山明さんであればアメコミっぽい作風だとか、そういうものが「描きたいもの」としてあったけど、そこからヒット作はやっぱり出てこないんです。実際、鳥山さん自身の「描きたいもの」は、申し訳ないけどつまらないんですよ(笑)。佐藤氏:なるほどねえ。まあ、ストーリーテラーという人でも実はないからね。鳥嶋氏:そこに彼のボツの歴史があったんです。色々と彼はカッコいい絵柄の作品だとかを描いてきたけど、最後には「則巻千兵衛」というオッサンと「アラレちゃん」というメガネを掛けた女の子に行き着いた。でも、それこそが彼にしか描けないキャラクターだったんだね。そこに辿り着いたときに初めて、彼はヒット作家になった。――いかにも日本風のダサい、則巻千兵衛やアラレちゃんこそが鳥山明だけの「描けるもの」だった。鳥嶋氏:結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。これをいかに探させるかが大事で、そのために編集者は禅問答やカウンセリングのように色々なことを対話しながら、本人に気づかせていくんです。すると、本人にしか出せないキャラクターが、まさに則巻千兵衛のようにポンと出てくる瞬間がある。ここにその作家の原点があるんだね。そして原点的なものは、まさに言葉本来の意味で「オリジン」(※)なんです。「オリジナル」であることの真の意味とは、そういうことなんですよ。※オリジン英語のoriginalの名詞形であるoriginは、「起源」や「素性」を表す言葉。――でも、大抵の場合、「描けるもの」はむしろ本人には克服したいコンプレックスそのもので、逆に「描きたいもの」はワナビーしてる価値観だったりするんじゃないですか。作家なんてプライドが高い人も多いし、大変な作業に思えますが……。鳥嶋氏:だから結局は、一つの言いたいことを繰り返し作家に言うことに尽きると思うよ。ただ、その届け方も毎回変えていかなきゃいけないし、大変な作業だよね。だから、僕は「編集者は沢山の人間と付き合うべきじゃない」と言うんです。作家と話せる時間は限られていて、だからこそ自分が選んだ人間と深く付き合う必要があるんだよ。
編集者には才能を見抜く目が必要
鳥嶋氏:逆に僕は、「この人は才能がないな」と思ったらそのことは強めに伝えて、それで終わりにしている。厳しいと言われるかもしれないけど、別に漫画だけが人生じゃないんだから。漫画がダメでも他の才能で豊かに生きていける可能性なんていくらでもある。なのに、なまじ才能がないのにしがみつくのは不幸だよ。まあ自分でも、わざわざそういうことを本人に言うのは、実にお節介だとは思うけどね。――才能はそんなにパッと見抜けるものですか。鳥嶋氏:それが分からなかったら、編集者として給料をもらわない方がいい。どうやって見抜くのかといえば……まあ結局は勘になってしまうのだけど、その磨き方はあるからね。ありとあらゆる面白いものを見て、自分自身の価値観を作ってはぶち壊すのを繰り返して、自分という人間の土壌を耕し続けるんです。やっぱり目が開いている限り、編集者はモノを見続けなきゃいけないね。
その人の眠っているものを掘り起こす
佐藤氏:あのちょっといいですか? 漫画家というのは小説家に比べて才能の要素が多くて、育てるのが難しいということはありませんか。特に絵とか線とかは天賦の才で、その人の持って生まれた官能のようなものを発掘するというイメージがあります。対して小説家は言葉だけだから、稀有なものを発掘するというよりは、育てるイメージがあるんですが。鳥嶋氏:ん? どういうこと?――ああ、佐藤さんはメディアワークス立ち上げ時期に、初期の電撃文庫でちょっと才能がありそうな作家であれば、とにかく編集をつけて育成してみた……という話をしていましたよね。佐藤氏:そうそう。小説家は多少稚拙でも、編集がついて二人三脚でやっていくとちゃんと育っていくという手応えがありました。ライトノベルという新しいジャンルのせいもあったかもしれないけど。鳥嶋氏:そんなことを言えば、絵だって技術的には上手くなるよ。でも、その個人が持っているイメージだけはどうにもならない。それは本人の「人間性」から生まれてくるもので、そこで“持っていない”人は面白くならないですよ。佐藤氏:ということは、漫画も小説も編集者の仕事は、その人に眠っているものをいかに掘り起こせるかですよね。鳥嶋氏:それはそうですよ。例えば、『銀の匙』という漫画があるでしょう。あれは作者の実家が農家で、その体験談があの漫画に反映されていて、ああいう作品こそが「描けるもの」だよね。それをいかに発見させるかは間違いなく編集の仕事です。ただ、才能の問題はそりゃ出てくるでしょう。
大事なのはキャラクター
――ちなみに、鳥嶋さんの言う才能というのは、ストーリー作りの能力みたいな話なんでしょうか?鳥嶋氏:いや、ストーリー作りに時間をかけても、意味なんかないよ。大事なのはキャラクターだね。そうね……言ってしまえば、「人間」を描けてるかどうかの一点に尽きるんだけどね。動物だろうが、ロボットだろうが、魔物だろうが、やっぱりキャラクターである以上は、本質的には“人間”なのよ。それがしっかりと描けていれば、「これは私だ」と読者に思わせられるんだよ。――まさに鳥山明さんの漫画ですね。ロボットであろうと、宇宙人であろうと、道端のうんこであろうと、誰もが活き活きと生命を吹き込まれている。鳥嶋氏:往年の漫画家たちは、少女漫画出身の人が多かったんだよね。例えば、ちばてつや、赤塚不二夫、石ノ森章太郎なんかもそう。当時はそこから始めるしかなかったのだけど、お蔭で昔の作家はキャラが立った人間描写には長けていたね。――とはいえ、現実的にはどういうふうに描けばいいのでしょうか?鳥嶋氏:「身近」に感じられるかどうかだね。よく僕が新人漫画家に言うたとえ話があるんですよ――例えば、君が大好きだった女の子にデートの約束を取り付けて、その場所に急いでいたとする。そのとき、交通事故で倒れている人がいたら、どうするか。知らない人だったら、きっと君は助けるかどうか迷うはず。でも、それが自分の弟や妹、あるいは友達だったらどうするか。たぶん、君は迷わず助けるんじゃないかな。そして、その君の判断は「身近」に思っているかどうかにかかっている。「キャラクターを立てる」という事の本質は、ここに尽きるんだよ。キャラクターの「身近さ」を上手く作れているだけで、同じエピソードでも切迫度が一気に違う。――なるほど。鳥嶋氏:だから、ストーリーを作り込むことに血道を上げるのがいかに無駄かという話ですよ。その前に考えるべきは、身近に感じられる魅力的なキャラクターなんです。キャラクターさえしっかりしていれば、エピソードなんてどうとでもなる。というか、むしろエピソードなんて、そのキャラクターを際立たせるためのものでしかないんだよ。たとえばミステリというジャンルで、なぜ『シャーロック・ホームズ』や『007』だけが売れ続けているのか。他にも面白いミステリはごまんとあったのに、彼らだけが何度も映画化されて、生き残っている理由は何なのか。しっかりと考えて、掘れば掘るほど結論は常にシンプルだね――答えは、強いキャラクターの存在にあるんですよ。
アンケートを取ったら「友情、勝利、……健康」!?
――今日もう一つ鳥嶋さんにお伺いしたいことがあるんです。それは、『週刊少年ジャンプ』とは何なのか、ということなんですよ。あれほどの数の人間が毎週楽しみに読んでるのに、ジャンプがなぜ他の雑誌と違うのかを上手く説明できた人は見たことない気がして……。もしよければ、鳥嶋さんなりのジャンプ論を聞ければ、と。鳥嶋氏:でも、僕はジャンプは大嫌いだからね(笑)。――そうだと思うのですが(笑)、そこで得たものはあるんじゃないでしょうか。以前にさくまあきらさんに取材したときに、さくまさんが「ジャンプで“王道”を学んだ」と言っていたんです。彼はジャンプのメソッドをゲーム開発に活かしてきたというんですね。鳥嶋氏:……なにそれ。さくまさん、そんなこと言ってたの。「王道」なんてあるわけないじゃん。強いて言えば、そのとき流行ってるものが「王道」だよ。『バクマン』でもそんな話をしていたけど、あの作品は本当に世間に良くない影響を与えてると思うね(笑)。佐藤氏:でも、ジャンプの方針として「友情・努力・勝利」とか言われるでしょう?鳥嶋氏:ああ、全く無意味ですね。あんなのはバカが言うことですよ。――ちょ(笑)。佐藤氏:ええと(笑)、それは、創刊当時は合っていたけど、今は違うということ?鳥嶋氏:昔から変わってないですよ。もっと正確に言うと、「友情」と「勝利」は正しいんです。でも、「努力」は子どもは大嫌いなんです。実際、昔アンケートをしっかりと取った結果は「友情・勝利・健康」だったんだから(笑)。――えええ(笑)。「健康」ですか。鳥嶋氏:まあ「健康」に関しては、さすがにその時代の雰囲気だろうから、今は違うとは思うけどね。佐藤氏:そういうアンケートをちゃんとやっているんだね。鳥嶋氏:だから、『ドラゴンボール』では「努力」はさせなかったんですよ。「修行しました」とは言うよ、でもあくまでも結果で見せていく。だって、「滝に打たれて修行する」とか、そんなバカな話が現実には意味ないことくらい、そりゃ今の子供は知ってるよ。そういうリアリティは普通に生きていれば、この情報時代に絶対にキャッチするからね。――確かに、そうですね。鳥嶋氏:そういう子供が敏感に感じ取れてしまうところで嘘をついたら、おしまいなんです。だから、『ドラゴンボール』でも戦闘シーンは、徹底的にアクションを本格的につくったんだよね。逆に子供にそういう部分で「本当だ!」と思わせちゃえば、あとはもうどんな嘘でも受け入れてくれる。鳥嶋氏:子供は本当に正直なんだよ。例えば、大人は「子供はどうせ世の中の理不尽さなんて知らないだろう」と思ってしまいがちじゃない。大間違いだね。だって、そんなのは学校のクラスを見渡せば分かることだよ。一番モテるのは、結局は頭が良いやつ、テストができるやつだよ。先生からも同級生からも一目置かれるよね。で、次はスポーツができるやつでしょ。カッコいいよね、運動会のヒーローだ。そして顔が良ければ、女の子にもモテる。じゃあさ、その全てがない子はどうしたらいいの? 「努力」なんかじゃどうにもならない現実があることくらい、子供は小さい頃からイヤというほど知ってるよ。もちろん、漫画というメディアは、そういう子供たちを励ますものとして発展してきたんですよ。でも、そのときに「滝に打たれて修行すれば強くなれます!」みたいなうさん臭い「努力」の物語なんかじゃ、そんな子供たちを励ますことはできない。子供をナメちゃいけないんです。佐藤氏:自分が子供の頃を思い返しても、確かにそう思うね。鳥嶋氏:大人になると、人間は色んなことを経験して、自分の判断を曇らせていくんですよ。その方が生きていく上で、楽だからね。だけど、子供は違う。最も感性が鋭くて、あらゆる物事をピュアに感じられるのが、子供時代なんです。ところが、それなのに彼らはお金もなければ、学校にも行かなきゃいけない。先生と親にも従わなきゃいけない。でもね、そうやって現実で虐げられているからこそ、彼らは二次元の世界に対して鋭敏な感受性を持つんだね。――大人であれば「フィクションだしな」と思って見逃してくれるようなことも、子供は見逃してくれないということですか。鳥嶋氏:実際、『ドラゴンボール』なんて、そういう世界観で出来ているでしょ。世界が平和だなんて大嘘で、たとえピッコロ大魔王や魔人ブウが出てきても、国連は何の役にも立たない。そして、悟空がスーパーサイヤ人になるのは、何かの大義のためじゃなくて、一番の友人だったクリリンが死んだとき――こういう話に怒る大人もいるかもしれないけど、これこそが自分たちのリアリティだとして子供は受け取るんだと、僕は思う。そして子供は、そういう部分に関しては驚くほど正確に、大人たちの言うウソを見抜いてくるんです。
インターネットから優れた作品は生まれるか?
――最後に鳥嶋さんに聞いてみたいのですが、まさに佐藤さんのKADOKAWAはドワンゴと合併して、インターネット時代のコンテンツというのを考える立場だと思いますが、ネットについてはどうお考えですか?鳥嶋氏:申し訳ないけど、僕はネットから何かクリエイティブなものが生まれることはないと思う。会社でも、「コンテンツの生まれる場所としては、相手にしなくていい」と言ってるしね。――鳥嶋さんのコンピュータ文化への通暁ぶりからすると、ちょっと意外な発言のような気もしますが……。鳥嶋氏:コンテンツが生まれるときに、クローズドな環境であることと、有料の場であることは欠かせないんですよ。でも、インターネットにはその両方がないじゃない。だって、インターネットのそもそもの始まりは、軍需産業や図書館、大学の研究室みたいなところにあるわけでしょ。そこには市場の発想がないんです。無論、そういう出自のテクノロジーだから、何かを共有したり拡散したりするのには素晴らしく向いている。でも、ここから何か本当に新しいコンテンツが成功して、生まれてきた事例なんてないでしょう。――ニコニコ動画のN次創作動画みたいな遊び方が事例にはなるかもしれないですが、そうして生まれた動画作品それ自体に革新性があったかというと難しいですね。鳥嶋氏:別に僕は、インターネットがなにか既存のものを組み合わせたり、広めていくのに向いていることは否定していないんです。いや、むしろどんどん使うべきだとさえ思っているんですよ。でも、何か創造的なものを生み出すためには、作家をクローズドな環境において、徹底的に絞っていく作業が欠かせない。その時点でネットは無理がある上に、基本的には無料でしょう。有料で値付けされていないと、受け手が真剣に身構えないんです。気軽にだらだらと受け手が見るような場所では、なかなか作家は育たないね。そもそもインターネットのような場所は昔からあって、例えばコミケがそうでしょう。でも、あそこから本当の才能が飛び出してきた試しなんてないじゃない。結局、そういう場所では作家が「描きたいもの」ばかりが溢れてくるんですよ。――まさにさっきの作家は「描けるもの」を書かねばならない、という話ですね。
良い編集者とは
鳥嶋氏:まあ、ものづくりにおいて編集者は絶対に必要なんですよ。でも、編集なんて10人入ったらまともなのは2人育てばいいくらいなんだけどね。ただ、1人でも良い編集を育てれば、10人は作家が育つ。だから一見遠回りに見えるけど、編集者を育てるのが大事。まあ、それも失敗を繰り返させるしかないので、その資本力と機会が必要なんだけども。――そういう経営判断になってくると、残念ながらネット企業に理解を求めるのは厳しいでしょうねえ……。でも、話を戻しますけど、逆にカドカワにはそういう現状などに不満を言うような社員はいるんですか?鳥嶋氏:君、なかなか良い質問するね(笑)。佐藤氏:うーん……いや、なかなか難しいよね。やっぱり「サラリーマン的」なところはあるかもしれないね。多くの編集者にとって、作家は「先生」で作品は「完成品」で、編集者がただの「連絡係」にしかなっていないことも少なくないんだよね。作品を作家と一緒になって作り上げて、作家を育てていけるような編集者は本当に稀有だと思う。鳥嶋氏:だから、「良い編集者」っていうのは、とても貴重なんですよ。その仕事ぶりが世間から見えることは少ないから、なかなか理解されづらいかもしれないけどね。――鳥嶋さんの考える「良い編集者」って、どういう人なんですか?鳥嶋氏:そもそも編集の仕事がなにかといえば、カッコいい言い方をすると「愛するが故に厳しく」なんですよ。作家に厳しくできるのだって、やっぱりその人間の才能を愛しているからなんだね。逆に言うと、愛することが出来ない才能に対しては、どうでもいいから厳しくなんてできない。だから僕なんかは付き合う人を選んでしまうんだけどね。――先ほど、鳥嶋さんは「クローズドな場所」からしか創作は生まれてこないと言ってましたが、そのクローズドというのは究極的には「個人の才能」なのかな、と思ったのですが……。鳥嶋氏:そのとおり。僕は自分の経験から、創造の奇跡というのは常にクローズドになって、個人の力が発揮される瞬間に生まれると思ってる。申し訳ないけど、チームワークからそんなものが出てきたことはないね。ゲーム業界も、本当に面白いものが出てくる状況に戻りたければ、昔のように少人数で制作できる体制になる必要があるんじゃないかな。佐藤氏:作家の力を信じて、クリエイティブなものに感動する心は編集者には必要だよね。鳥嶋氏:編集者に大事なのは「好奇心」なんですよ。僕は、本当はあまり他人に興味がない人間なんだけど、やっぱり一番最初にすごいものを見たいという思いは強いんだよね。でね、新しい才能の作家は、常に評判が悪いんです。床屋に行って髪型を変えたら、必ず最初は「なにそれ?」と言われるでしょ。髪を切る程度でもそんなことを言われるわけで、そりゃ新しい作品にはとてつもなく厳しいコメントを人間は投げつけてくる。でも、そういう否定的な意見は割りきって、まず稀なものを面白がることですよ。そうして奇抜な才能を愛して、厳しく育てていくんです。だって、「奇なるものを好む心」が「好奇心」なんだからね。
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